トレッキングの後のネパール観光とバンコク
[これまで個人的に行ったトレッキングなどを除いて、自分が主催した2回のトレッキングでは、カトマンズ近辺の観光はしたものの、あまり地元の人たちと触れ合うような機会がなかったので、今回はトレッキングに観光のようなものを加えた「ゆっくりネパール」を企画しました。
そうすれば余裕のあるはずのアラ古稀の友人たちは、もろ手を挙げて参加してくれると思ったのですが、あにはからんや全く賛同を得られませんでした。
ネパールは1度あるいは2度も来れば、普通はそれで十分満足するものだとやっと気付かされた次第です。
しかし、もう少しネパールの良さを知ってもらいたいという思いは強くありました。
そんなこともあって、今回は高級ホテルを避けて中級ホテルを設定してもらたりしています。]
☆ ☆ ☆
10月17日
きょうから3泊4日の観光旅行です。
まず釈迦生誕の地といわれる「ルンビニ」へ出かけます。
きのうまでのガイドのマー君は、前からスケジュールが入っていて、明日からエベレスト街道トレッキングへ出発するので、この3日間はピンチヒッターさんが来てくれるとのこと。
国内航空でバイラワへ飛び、そこから車でルンビニへ向かいます。
11年前にメラ・ピークを登った後に訪れたことがあって、その時のことを車で迎えに来てくれるのを待ちながら、「あの時は若い女子大生のバイトのような娘さんガイドだった」などと話すと、そのあたりに期待が集まったが、マー君たちはなかなか姿を現さない。
12時50分のフライトなので11時30分に迎えに行きますということだったが・・・。
「どうしたんだろう」と思っていると、マー君から電話が入り「ちょっと遅れます」。
しかし30分過ぎてもまだ姿を現さない 
イライラを募らせていると、バンが到着しニコニコ顔のマー君の後ろに長身の男性が・・・。
若い女性ガイドの夢ははかなくも破れたが、顔には出さずにこやかに「よろしく」と挨拶をし空港へと向かった。
ホテルから空港へは近いので十分間に合う時間だが、約束の時間があると全体よりもその一点に集中してしまうのが日本人らしい。
空港でマー君と別れ、20人乗りくらいの小型機でバイラワへ向かう。
バイラワはインドとの国境に近く、ネパールの熱帯地帯で、飛行時間は30分ほど。
空港に迎えに来てくれたスズキのバンに乗ると、運転手君はほとんど口を開かず、広い道を遮るものをクラクションで追い散らし、オンボロ車をぶっ飛ばす。
運転経験のある者にとっては、カトマンズ市内や近郊では車の助手席に座ると命を縮めることになる。
大してスピードは出さないが、車と車やバイクとの距離が異常に接近している上、互いに横入りなどを頻繁にする。
その合図などをすべてクラクションで行うのだ。
日本にいれば月に何回もクラクションを鳴らすことはないが、カトマンズの渋滞道路では100m進むのに20回以上は鳴らすのではないか。
日本でのように車間を取ったらいつまで経っても前には進めない。
横入りや無理な右折車などには、どうしても足に力が入ってしまい、思わず「うわぁー」と声を発してしまう。
バイクは通常は多くて二人乗りだが、ここでは夫婦子供との3人乗りや、赤ん坊をも乗せて4人乗りを見るのも珍しくない
「ここは道が広いから大丈夫だよ」とSさんに助手席をすすめたが、やっぱり
のようでした。
かつてのルンビニには大したホテルはなく、粗末なロッジで大きな蚊が部屋を飛んでいたという印象があるが、道々眺めると10年ひと昔の言葉どおりで、あちこちに「ホテル」があるようだ。

驚いた
ここがホテルのお庭です

白いハイビスカスなんてのがあるんですね

これが本日チャーターしたリキシャーで二人乗ったら壊れそうなおんぼろ車 

初めの内はバッチイ幌などにしがみついていましたが、しばらくするとバランスが取れるようになって、周りに目をやることができるようになってきました。
うまく説明できませんが、ドライバー?の操作と脚力には感心してしまいました。
この広い敷地内の重要部分には車は入れないので、このリキシャーはわれわれの味方でした、なんといっても暑いので 

どこをどう回ったらいいのかはドライバー君たちが知っていて、われわれのガイドのカジ君も一緒に乗ってお客さんです。

こんなところがあったのか?
敷地内には各国の寺院があって建設中のものも多く、相当数(国)のものが未完成のようです(きっと何年もの間)。
日本のように、工事を急ぐ槌音が聞こえるような現場は見あたらなかったような気がします。


これは「ドイツ寺」
完成されていて、ドイツの仏教力に驚かされましたが・・・ヨーロッパの仏教については、皆目見当がつきません、発見でした。
ミヤンマー、中国、ネパールの寺院などを回りましたが、どうもイマイチ手を合わせて目を閉じる雰囲気を感じられませんでした。

到着が遅かったので、こんな時間になってしまいましたが、むしろ過ごしやすくなって周りの様子を見るのに目を細めないでいられるようになりました。

「マーヤ聖堂」です
この中に古い基石が保存され、釈迦生誕の場所を示す石の囲みのようなものがありました。
11年前は工事中で中には入れなかったので、今回は期待して訪れましたが、残念ながら信仰心皆無の輩を引き付けるようなものを感じるこが出来ませんでした。

若い修行僧の敬虔な後ろ姿

各国の寺院内は土足禁止になっていて、その度に靴を脱いで歩くので、裸足の人たちの足裏を自分の靴下で拭いているような不潔感があり、ホテルに戻ってまず靴下を洗濯し、靴の中を濡れティッシュでしっかりと拭きました 
10月18日
今朝は一番で、昨日、場所が離れていたためか、見残した日本寺を迎えの車に乗って行ってみました。
早朝とあって中は貸切りで前面が日本の庭園風な上、建物もドイツ寺などのような派手さはなく、コンクリート作りながら多少日本の寺院の雰囲気を感じさせるものがありましたが、木造を見慣れている目には固さや冷たさが気になって・・・。
きょうは
でポカラへ向かいます。
インド系のドライバー氏は、外の景色をゆっくり眺めるられるようなスピードで走ってくれればいいのに、カーブごとにクラクションを鳴らし山の中をなぜかぶっ飛ばします。
集落があると、青いシャツを着て学校へ向かう清潔な姿と行き交います。
登校中の小学生や中学生で、足元を見ると9割方はゴム草履ばきなのは暑い故なのだろう。(学制は小学6年、中学6年だという)。
ポカラへ
で向かう期待は、どこでマチャプチャレやアンナプルナ山群が現れるかです。
テイー・タイムでない町で車が止まり、なぜか子供を乗せるとドライバー氏がいっているという 
どうも彼の子供たちで、10歳以下と思われる男の子とそのお姉ちゃんで、助手席に座っていたカジ君の横におさまった。
この子供たちだけと思ったら、トピ(ネパール帽)を被ったジイさんが後部ドアからYさんを押しのけるようにして、荷物スペースに乗り込んで来たのには3人ともあっ気にとられてしまった。
こんな便乗ってありなの(自分たちのスペースは変わらないが)、聞いていなかった・・・のでちょっと不満。
ジイさんは無愛想な運ちゃんの父親らしく、幸いしばらくして下りたが、Sさんが窓をもっと開けてほしいという。
ジイさんが持ち込んだ臭いで吐きそうな気分になっているというのだ。
私は窓を全開にして走る運ちゃんの後ろだったので、バンバン風が抜けるので窓をあまり開けてはいなかったが、それでも風の流れで異臭を感じなかったのは幸いだった。
Sさんは満員の乗合バスに乗っても「大丈夫」といっていたが、これで思い知ったことだろう。
しばらくしても臭いが鼻から離れないようだったので、そろそろ昼食の時間だったが、ポカラに着いてからにしようということになった。

簡単な作りの茶店でお茶を入れてくれたおねえさん
「砂糖は?」といいながら右の棚の薄汚れたビンを持って、スプーンを突っ込んですくうような仕草を見て、3人とも「いらない」と言わざるを得なかった。
紅茶はまるで薬草茶のような味がしたので、おねえさんがいないところで鍋を覗いてみると、濾した後の黒い粉が少しだけ残っていた、新たな味の経験をさせてもらった。
ポカラに近づいてもマチャプチャレ(6993m ポカラの象徴、マチャ=魚 プチャレ=尾っぽ)が見えて来ない。
上空は晴れていたが山の方角だけに雲があって、結局「あれがマチャプチャレだよ」と得意気に説明する機会はありませんでした。
ポカラの町は何度も来ていて、昨年も2日間くらい滞在して地理はわかっているので、ガイドのカジ君は夕方まで解放してあげることにし、3人で適当なレストランで
をして、湖畔を散歩したりしてあまり考えずに過ごしました。
観光スポットもあるのですが、そこを案内するよりもブラブラ歩きの方が「らしさ」を感じてもらえると思ったわけです。
昨年はここをブラブラ歩いていてマー君とばったり会ったのでした。
夕方になっても雲は動かず、山は頭も顔もだしてくれません。
夜はカジ君に彼がお気に入りだというレイクサイドを外れた、観光客が入らないようなタカリ(族)レストランでダルバートを食べることになった。
残念ながら期待したような、われわれに合う味ではなかった。
フェワ湖を数年前までのガイドブックにはペワ湖と記してあった。
英字表示の Phewa をペワと読んだらしい。
そんな地名の日本語の誤りはあちこちにあるみたいです。
夜、星空に輝くマチャプチャレを期待しましたが、姿を現してくれませんでした。
もしかして明日もみられなかったら「何しに来たの?」ということになってしまう。
10月19日
マチャが気になって5時ころ起きてホテルの庭に出てみましたが、山の方角はきのうと同様に雲 


朝食は庭で
まだマチャは姿を現してくれません。
「嫌われたのかな」とか、「しゃくだから見たことにしよう」など冗談をいいながら爽やかな朝の食事を終え、きょうは楽しみなバンディプールは向かいます。
きょうの運転手さんは若い人で感じもよく、車も清潔そう。
トレッキングの含めて、今までの車は個人所有のもののようでしたが、今回の車はトヨタの新車に近いようなもので、会社所有のもののようでした。
(見えない山に)後ろ髪を引かれる思いで車に乗り、ホテルを後にしばらく走ってから左側に目をやると、なんとマチャプチャレとアンナプルナ山群が現れていたのです。
「ホラ あれだよ
」
運転手君が気を利かせて、広い駐車場の外に車を止めてくれたので、なかに入りしばし見上げて感動に浸りました。
お二人はすかさず売りに現れたおじさんからパノラマ写真を買っていました。


これは昨年同じ場所で撮ったもの
Yさんは2008年の時にイヤというほど見たものと思っていましたが、車内で話を聞くとこの景色は「見てません」という???
そのため、マチャプチャレをバックに写真を撮ってあげていませんでした。
きのうの運ちゃんと違って、きょうのお兄さんは運転が丁寧でクラクションをあまり使いません。
バンディプールというところを紹介しているガイドブックは見当たりませんが、ここについては長年世話になっているDACの後輩S君(広島在住、マハビール君は彼のパートナー)に観光地でないようなネパールのいい場所を教えてほしいという希望に、彼が計画に入れてくれた町です。
ポカラ⇔カトマンズ間のハイウェイを2時間ほど走り、横道に入って山道を登ります(車で)。
そこには「バンディプール」のゲートがあって、そこからすぐの所と思っていましたが、結構な時間のドライブで、こんな山の中に街があるのだろうかと心配になって来ました。
それほどの距離がありました。


宿場町といった感じのバンディプールのメイン・ストリート

メインストリートのレストランに入り、またダルバート(ネパール定食)を注文してビールを飲みながら食べていると、学生(短大生)たちがゾロゾロと入ってきて奥のテーブルに10人ほどが座ると、すぐにダルバート出てきて、あっという間に平らげて出て行きました。
このレストランとあらかじめ予約がしてあるようですが、ダルバートの内容は肉などはなしで、ライス主体のもののようでした。
この町の学校に昨年までは二人日本人が勤めていて、日本語などを教えていたそうですが、今もお一人が10年以上住まわれているそうです。
ちょうどその人が前を通り、「あの人」と教えられて視線を移すと、日本人離れしたヘアースタイルと衣裳を身に着けた女性でした。
ロッジにシャワーもあったので、浴びた後で汚れ物を洗濯しましたが、どうも部屋の奥が高い感じで、ドアをいっぱい押し開けることができません、ネパール建築様式とでもいいましょうか・・・。
これに限らす、壁に掛けられた額などが曲がっているのが、当初は初ネパールのSさんには気になることのようでしたが、多少はなれたようです。
ここでもYさんは鍵に悩み、助けを求めて来ました。

ロッジ裏にある公園は少年たちの遊び場で、ネットレスのサッカーのゴール枠があってボールを蹴っていました。


家の前で遊んでいたかわいい子(Yさん撮影)
この公園からはマナスル方面が見えるはずでしたが、まだ
の中なので明日の朝に期待です。
晩の食事はロッジのメニューでは味の期待は出来そうもないので、無難なピザにしてワインを飲もうと赤ワイン
を注文すると、「ちょっと待ってください、取りに行ってきます」と言って、青年が出て行き、15分くらいして2本の赤ワインを持って戻って来ました。
「どこ製?」と聞くと「ポカラ」だというのですが、2本の差は不明なので、きれいなラベルの方を選んで開けてもらいました。
香りはどうか、味はどうか・・・
期待した香りはなく、酸っぱい味の強いワインでしたが、二人で難なくボトルを空けました。
青年が一生懸命に探してくれたようなので、僅かばかりのルピーを手渡しました。
バンディプールを調べる術を知らず、インターネットを探っていて「ネパールの空の下 -けぇ がるね?日記-」に行き当たったので、その記述の一部を転記させていただきます。
『バンディプールは、ネパールに、車による移動のための国道が出来る以前、徒歩による交易や政治の要所として栄えた宿場街である。
1973年に、川沿いの平地を通る国道が完成してからは、山の上のバンディプールは、「忘れられた街」となった。
・・・19世紀初頭バクタプールから移住して来たネワール族の商家が立ち並んでいる。歩いても、端から端まで5分程度。
車やバイクは、街中への乗り入れが禁止されている。』
10月20日
早起きして3人で公園へ行ってみましたが、残念ながら山は見えず、むなしい散歩となってしまいました。
朝食は若干期待して、メニューにあるスクランブル・エッグとトーストを3人揃ってで注文しましたが、出てきたのは甘いあまい炒り卵とトーストでした。
今日はカトマンズへ戻ります。
荷物をザックに詰め、部屋を見回して「忘れ物 ナシ」と確認して車に乗りカトマンズへ向かいました。
舗装道路からロッジまでの道はオフロードで、昨日そこにゲートのようなものがあって、お金を支払っていました。
そこを通過しようとした際に、係のおじさんがわれわれの車を呼び止め、運転手君に何やら。
カジ君が、「だれかロッジにカメラを忘れましたか」という。
私でした
あの青年が見つけてくれて持って来てくれましたのです。
感謝の気持を今回もわずかなルピーを手渡しましたが、とっさのことで少額紙幣だったのが悔やまれます、ゴメン。
カトマンズ郊外に近付くと毎度の渋滞で、ホテルに着く前にどこかで美味しいダルバートを食べたいとカジ君に話すと、「わかりました」ということでしたが、しばらくすると「あと20分でホテルに着きます」という???
仕方ない
揺られて疲れたし、ホテルで食べることにしました。
このホテルにはレストランと「そば処」があって、ガイド・ブックにはそれなりのものと記してあります。
4人とも「てんぷらソバ」に一致し注文しました。
ソバもてんぷらも量は多めで、てんぷらは揚げたて美味しい。
ソバはどうか、色はいいが味は・・・。
ソバの美味さを決める大切な要素に「茹で加減」があと思うのですが、残念ながら台無し
。
カジ君は2度ほど日本に滞在して、日本食は好きだといっていましたが、てんぷらは完食したものの、ソバにはほとんど箸を付けませんでした。
結局カトマンズ最後の夜もホテルのレストランで寛ごうということになってしまいました。
ガイド君が、明日は13時30分のフライト時間に合わせて、10時30分にマハビール君の奥さんと迎えに来て、空港まで送ってくれるということでお役御免としました。
10月21日
朝食前にカトマンズの朝の様子を眺めようと、エベレストホテルのある広い通りに出て、車などの混雑ぶりを観察しましたが、さすがに早朝はそれほどではないものの、大小の乗り合いバスが続々と集まり、中心部へ向けてと思われる乗客を拾っていました。
荷造りをしてロビーに運び新聞を開いて、「柏レイソル」が首位と知り思わず一人で拳を丸めて満足するも、迎えの車は10時半を過ぎても到着しません。
「マー君の奥さんはどんな人だろう」などといった話題が消えて、11時になっても15分過ぎになっても来ないので、業を煮やしフロントへタクシーを頼んだところにやっと到着 
あの渋滞を予測しなかったのだろうか、どうも遅れたことを申し訳なく思っているような様子がないのが不思議、最近の日常茶飯事なのかもしれない。
これまでの経験では、空港への送り時間が遅れたということはなかったように思う。
旅の終わりだ、「ま いいか」ということしよう。

空港まで見送りに来てくれたマー君の奥さんとYさん
国際空港の建物内にネパールの一般の人は入れないので、窓越しに手を振ってのお別れとなりました。
またいつの日か・・・

この写真は空港でマハビール君の奥さんから手渡されたものの一部です。
4枚を一緒に写したもので、彼の出身地の学校の校長先生が撮ったものだそうです。
左上が校舎で、後の3枚は学校の備品のよう、右上がドラ?で下は地球儀と時計です。
2008年のトレッキングの際、千葉のMさんが店にDonation Boxを置き、集まった1万何千円かに加えて参加者にも協力してもらい、なにがしかのお金をマハビール君に渡したところ、『故郷の学校に顕微鏡を買って贈りたい」いっていたのですが、顕微鏡が手に入らず地球儀などになったようで、律儀にもこうして写真を撮ってくれたというわけです。
世界最貧国の一つであるというネパールへは、ただ行くことくらいしか役立てていない私ですが、こうして同行した皆さんの善意が、小さいながらも形となってネパールにあるということを一緒に喜びたいと思います。
★ ★ ★
10月21日~23日
夜6時過ぎに
バンコク着。
ゲートを出るとすぐに「イマナリ サマー」という黄色い声が聞こえて来ました。
バンコクでのガイドさんとの出会いです。
若い女性が二人で出迎えてくれ、その内の太目の女性のナさんが担当でした。
カートに重い荷物を三つ乗せ、Sさんが彼女たちの後に続きますが、驚いたことにカートごと降りられるエスカレーターがありました、これってフツーにあるものでしょうか。
ハイウェイをぶっ飛ばしてホテルへ向かう車内で、「洪水」の様子を聞くと、この辺は「大丈夫」という。
しかし、高速道の下などに異常な数の車が止まっているので尋ねると、「避難して来た」車だそうで、滞在中、市内のあちこちに沢山の駐車が目に付きました。
チェック・インしてすぐに夕食だというので準備し、市内のレストランへ向かうことになりました。
メニューは一押しの「タイしゃぶ(鯛のしゃぶしゃぶではなく、タイ国のしゃぶしゃぶ)」というもので、Yさんは3度目のタイらしく、以前に食べたことがあるそうですが・・・。
肉はなんの肉か?
コンロの上のしゃぶ鍋に係の人が、湯らしき中に何種類かの野菜と肉らしきものや、キノコらしきものや、餃子らしきものやそれらしきものをこれでもかとぶち込んでいきます。
を飲みつつ待っていると、また係の人が出て来て、それぞれの茶碗に煮上がったものを盛ってくれました。
タレは2種類あって、赤いピリカラとただのショウユみたいなもの。
野菜をショウユをつけて食べてみるが、やっぱりただのショウユ味なので、ピリカラの方がマシ。
餃子に見えた白いものを口にしてみると、Yさんがいうように「練りもの」で、野菜以外はほとんどそれで、私の椀の中に肉らしきものを見つけることは出来ませんでした。
そしておしまいに鍋にご飯を入れ、なにかを足してオジヤを作ってくれましたが、これは練りもののダシが出て美味しいものでした。
日本で「タイしゃぶ」を味わうのは簡単ですが、おすすめ出来ませんね。
高速道路から「紀文」の工場を見かけました。
エビなどの養殖場はいたるところあるようだったので、あれは「キブン推奨なべ」と呼んだ方が良さそう・・・。
バンコクを発つ晩にも他の店で「タイしゃぶ」を食べましたが、鍋の形の違いだけで中身とタレはほとんど一緒でした。
一番美味しいと感じたのは、Yさんと一個ずつ注文した、バッチリ冷えたココヤシにストローを入れて飲んだジュースでした。
二日目の晩は飲茶のバイキングでまあまあとはいえ、タイの味がする(材料の問題だと思いますが)中華でした。
ネパールで食べた日本料理も同じことが言えて、今までに食べたどの店もネパールのある味を感じるものでした。
バンコクの旅はエージェントから派遣されたガイドのナさんにお任せで、食事などは周りで目に入ったものなどを別料金で注文しました。
ナさんは職業柄お土産店などに案内されましたが、3人が貴金属などに興味がないと知るといい加減で諦めてくれたようです。
Sさんのみが初バンコクなので、二日目は一とおりの観光を組んでもらっています。

まず、水上マーケットへ。
護岸のコンクリートが水に沈んでいるのは(この写真ではありません)、洪水の影響だったのでしょう。
41年ぶりで、こんな所ではなかったような記憶にちょっと戸惑いました。
ふと、もう旅は終わったなといった感情が湧いてきて、この写真一枚きりでバンコクでの撮影を止めることにしました。
ネパールでの期待と緊張の糸が切れて、空を漂う凧のような状態になってしまいました。
この日は月並みな観光をし、3日目には追加観光でパタヤへ足を延ばしましたが、渡った島のビーチにあったチェアーに寄りかかり、それとはなく居眠りなどをして過ごしたような状態なので、ネタがないわけではありませんが、バンコクの旅はこの辺で閉じさせていただくことにします。
中途半端な感じでで申し訳ありません。
長い記述を最後まで読んでいただきありがとうございました。
2011.11
S. Imanari

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