プーン・ヒル付近から眺めたダウラギリとツクチェ・ピーク
3年半ぶりのネパールだ
2004年の、「エベレスト遠望トレッキング」参加メンバーの何人かから、「もう一度」の声が上がりコース・プランを考えた。
時季を春とすれば、やっぱりネパールの国花「ラリグラス(石楠花)」を見るのが一番だろう。
見事なシャクナゲはゴレパニ近辺のものしか知らない。
10年ほど前に、山岳部時代の友人とトレッキングをしていて、ダンプスからランドルン経由でゴレバニへの手前で、驚くほどのシャクナゲを見上げた。
学校帰りの少女たちが、頭にシャクナゲを付けて下りて来た姿が印象的だった。
トレッキングはゴレパニ周辺のシャクナゲを見て、プーン・ヒルから「わが青春の山/ダウラギリ」を見てもらうことにしよう!
このコースに決めて、2004年の参加者を中心に募ると15人ほどの手が挙がった。
結局は12人ものパーティーとなった。
現地との連絡や手配は、前回同様に大学山岳部後輩の清水君(深呼吸クラブhttp://hotken.blog.so-net.ne.jp/)にお願いした。
当初、3月下旬を予定していたが、参加希望者からの要望もあり4月3日出発とした。
ところがひと月ほど前になって、「出発を1日前倒ししてもらえまいか」という問い合わせがあって、帰国日はそのままでカトマンズ滞在が増え、その費用は航空会社が負担するとのことであった。
「うん?」、この話は美味しそう・・・。
参加メンバーは、日数には多少余裕があると思える方たち。
早速連絡をとると、全員が即座に「オーケー」の返事で、「13日間のゆったりトレッキング」となった。
4月2日 成田11時発のタイ航空で、今日はバンコック泊まり。
集合時間の8時30分の前に全員が揃った。
新米添乗員の胸はドキドキだったが、無事バンコックへ着き、迎えの現地エージェントのスタッフと出会えることが出来た。
早い夕方の到着だったので、晩飯だけの滞在ではもったいないと考え、「タイ舞踊」を観られないかとスタッフにたずねると、「手配できる」とのこと。
メンバーからも賛同を得て、中華ディナーの後で見物することにした。
38年前、初めてネパールで登山をした帰りに観たタイ舞踊の優雅さの記憶が、未だ脳裏から消え去らない。
ディナー・ショーで200人ほどの観客のほとんどが日本人のようだった。
10年ほど前にも観ているが、初回ほどの感動はなく今回に期待したが、「やっぱり・・・」だった。
30歳のころのあのトキメキは、若さの感性だったのだろうか・・・。
どう見ても踊は下手で、優雅さを感じなかった。
観光客向けの見世物なのだろうか。
終演10分ほど前に、多くの人たちが立ち上がり退場していった。
日本人の団体客はフィナーレまで待てないらしい、場内の雰囲気をぶち壊した犯人は近ツリらしい。
これでは踊り子さんたちも気抜けしてしまうだろう、でバンコックの夜は閉じた。
4月3日 バンコックからカトマンズへ
バンコック空港で、広島から二人の客人を案内して来た清水君と出会い、カトマンズまでの心配は解消した。
二日間ほど行動を共にする予定。
カトマンズの空港からホテルまでの道はおなじみだが、初参加の4人にはかなり刺激的であったようだ。
カトマンズの空はいつもモヤがかかっているようだ
時間があったので、この日は11人をアッサン・バザールに案内して、あの超大混雑を4人ならず全員に味わってもらった。
初参加の4人にはどう写っただったろうか?
クラクションの都「カトマンズ」では、狭いバザールの道にも車やバイクが入って来て、音色とりどりのクラクションを鳴らしまくるのだ。
現地の人たちは振り返らずにやり過ごすが、われわれはついつい振り向いて避けることになるが、回数の多さにイライラがつのる。
間断なく流れる車と、バイクの波間を見極めて大通りを横切るのも命がけだ。
信号は無責任に赤が点滅しているだけ・・・。
夜はネパール料理とショーを観ながら、「レッサンフィリリー」をリクエストして、共に歌って楽しんだ。
楽器を扱うおじさんが一曲ごとに、「メヘヘェー」とヤギの鳴きまねを大声で発して締めくくった。
それが受けて、トレッキング中も真似するメンバーが人を笑わせてくれた。
4月4日 国内線でポカラへ向う
空港内の売店に目が行く
飛行機はわれわれ(清水君と広島からお出でのお二人を含む)のみの貸切りで、右側の窓に視線が集まったが、モヤがかかって雪の山々は見えなかった。
出発がネパール時間で遅れたため、ペワ湖畔のチベット料理店ですることになった。
蒸し餃子にチャーハンや焼きビーフンが美味で得した感じだった。
ポカラからは車(大型バス)でルムレへ、38年前はポカラからキャラバン(山のベースキャンプまでの歩く行程)で3日はかかった距離が、今は車で1時間ほど。
そこから歩いて小1時間のチャンドラコットがきょうの宿泊地。
コットという地名は丘とか眺望のあるところといった意味らしい。
あいにく 到着時は曇り空で山は見えず、夕食の頃には強い雨が降り出し粗末なロッジのトタン屋根は大賑わいとなった。
翌朝のチャンドラコットは晴れ上がり、聳え立つ雪の山々を見上げることが出来た。
アンナプルナ・サウス(7219m)とヒウンチュリ、そしてマチャプチャレ(「魚の尾」の意味で、美しい双耳峰 6993m)だ。
昨日は雨降りで出来なかった、スタッフの紹介をするサーダーのマハビール君。
彼は前回もサーダーで清水君とジョイントで、カトマンズに事務所を構えていて、日本語も達者で、われわれを安心させてくれる心強いパートナーである。
鋭い感性を持ったお二人(またお会いしましょう)と 清水君
ここから「広島グループ」とお別れしてシャウレバザールへと下る。
段々畑を下り、つり橋を渡りガンドルンへ
しばらくの間姿を見せたマチャプチャレ
集落ごとにある土産物の陳列台を覗く、品物は似たりよったり
キッチン・ボーイ君たちは、朝食後に重荷を背負ってわれわれを追い越して行って昼食に備え、終えると宿泊ロッジへ急ぐ。
5人の男たち、最年長は75歳のHさん、4人は同期生
この日は、夜半から雨が降り、朝方には一時上がったものの、出発するころにはまた小雨が降り出したので、スタートから雨具を着用しての歩きになった。
タダパニへの登りから、見上げるような木の上に咲く石楠花がそこここに現れて、「あそこに!」とあちこちから声が聞こえた。
タダパニへ到着
きょうの宿は突き当たり右のロッジ。
雨も上がったので、外でカンパイ!
翌朝は晴れ、シャクナゲも生き生きと朝日に映えていた。屋根の白いものは雪のように見える厚い霜。
タダパニでの朝食風景
昨夜は相当に冷えたので、夕食時にはテーブルの下に炭火が入れられ、即製コタツで暖をとった。
ロッジの隣室との仕切りは、どこのロッジも粗末で隙間が空いているが、ここは見事に一部が5センチ以上もあった。
もちろん隣室との会話は普通に通じる。
4月7日 タダパニからゴレパニへ
一昨日の雨は高地(3000m付近)では雪だった
遠くのシャクナゲ、近くのシャクナゲ・・・雨具は寒いので着用した
タダパニからゴレパニまでの道はシャクナゲの森、シャクナゲのアーチ、シャクナゲの・・・。
周りの山々もシャクナゲで紅く燃えているよう。
この凄さや美しさは、私の力では写真で表現することは出来ない。
初めは10mもの大樹に咲く花を見上げていたが、だんだんと低くなり、なんとなく親しみが湧いて花が近付いて来た。
ゴレパニを見下ろす丘からは8000mの山が見えるはずだったが、裾の部分の雪が見えるだけで姿は雲の中。
明日のプーン・ヒルに期待しよう。
ゴレパニへ着くと、カトマンズの事務所からマハビール君に選挙に関する情報が入っていて、投票日の10日に彼はカトマンズに戻らなければならない厳しい事情が発生したという。
また、選挙前日から交通規制が敷かれるため、計画変更の提案があった。
①明日はプーンヒルを往復して、ティルケドゥンガまで下る。
②9日はポカラのサランコット宿泊する。
③10日は車も飛行機も動かないので、フィッシュテイル・ロッジまで歩く。
彼はプーンヒルへ行ってからカトマンズへ向うということだったが、早朝に下山するようにこちらから提案した。
当初、ゴレパニかプーンヒルで山を見るチャンスが3回あったのだが、明日一日がラスト・チャンスになった。
今朝もいい天気だったので、明日も晴れてくれるだろう。
4月9日 朝食はとらず、ヘッド・ランプを点けて4時半に出発。
明るくなり始めたころにプーンヒルに着いた。
真ん前にダウラギリがどっしりと構えている。
「あれがダウラギリです」
『凄い!センセイ、あの山に登ったんだぁ』 (千葉のメンバーは登山講座の生徒なので、私のことをセンセイと呼ぶ)
アンナプルナ連峰やマチャプチャレも見えるが、ここではダウラギリにはかなわない。
ダウラギリだけを見つめてシャッターを押した。
登頂日は1970年10月20日だったろうか、あの時の感動が湧き上がって来た。
『凄い山ですね』、そういいながら涙を浮かべた千葉の女性たちに握手を求められた。
感涙というものだろう、嬉し涙のようなものが出てきて、私は顔を上げられなかった。
38年の時間が吹き飛んだ。
「まだまだ青春だ」
「左に小さく見えるのがダウラギリ2峰、右がツクチェピークで、私たちが登ったルートは・・・私の到達点は・・・」
プーンヒルでの酔いを冷ましながら、ティルケドゥンガへと厳しい階段状の道を下った。
この急な下りにネを上げるメンバーが出ると思っていたが、列は長くなったもののヒザの痛みなどの訴えは皆無であった。
ダウラギリ効果だろうか。
4月9日 ナヤプールからチャーター・バスに乗りサランコットへ向う。
大型バスはサランコットへの上り口までで、人と荷物は中型車へ乗り換え。
バスの屋根にポーター君たちが乗っているのはわかっていたが・・・
こんなに乗っていたとは
車はロッジのかなり手前までしか入れず、「まだ歩くの?ここでいいワ」などの不満が冗談混じりに聞こえて来る。
しかし、ロッジはトレッキング中では最高の部屋と景色に全員が満足の様子。
ペワ湖を見下ろし、暗くなるとポカラの夜景が一風変わった感じの色で美しい。
ネオンがないからだろうか。
今夜もみんなでカンパイした後、部屋でもカンパイ!!
4月10日 完全な交通規制で、走っているのは選挙管理委員会の車のみ。
湖畔通りはホコ天で、クラクションに怯えることなくゆったりと歩き、フィッシュテイル・ロッジへと向った。
島にあるロッジには、船頭がロープを手繰るイカダで渡る。
なんとも嬉しいではないか。
38年前からそうだった。
あの頃、出来たての高級ホテルで、登山隊などはダニのいる安ロッジに滞在した。
いつか泊まってみたいという思いがあって、10年前に実現して別世界の優雅さを味わった。
今回も帰りのポカラは「フィッシュテイル」と決めていた。
われわれの泊まったのは、Palm Court という建物でベランダの先の中庭には円形の平屋の、古くからのロッジがあり、無造作にブーゲンビリアが咲いていて、幾種類もの花に囲われて花の香りが漂って来る。
芳香剤ではない本物の香りだ。
小さいリスが手すりを走って行き、オナガのような鳥が飛び交い、カエルの合唱が賑やかだ。
無意識に部屋割りをしたが、なんと10年前と同じ部屋だった。
こうしてトレッキングは終了した。
11日にはカトマンズに戻り、初ネパールの4人には見ておいて欲しい寺、パシュパティナート、ボーダナート、スワヤンブナートへ案内した。
この日、他のメンバーには、カトマンズを探検してもらうことにした。
そして、翌日の午前中は余裕のパタン見物にあて、午後は買い物のためタメルに繰り出した。
最後の夜はチベット料理の「ギャコック」という鍋料理。
突然の雨のためか「停電」となり、暗い街を歩いて店に到着すると、外にいた先客が雨で避難したとかで、予約の部屋には入れず、外のテント張りの下のテーブルにローソクが灯された。
ま、いいか。
が、そこで予期せぬ問題が!
「選挙後の3日間はビールなどのアルコール飲み物は出せない」という。
「そんなぁ」、「さてどうするか」、マハビール君がいろいろと交渉してくれたが、やっぱりビールは出せないという。
ネパール最後の晩にビールも無しだってェ?!
楽しいディナーが台無しだ、「いいじゃないの」という人もいたが、ちょっと腹を立ててマハビール君に他の店を探してくれるように頼んだ。
すると、女主人が登場しアルコールOKの指示が出て、一度立ち上がった腰を下ろすことになった。
そんなもんだ、その後は気分良く飲んで、マー君特別企画の人力車に乗って、スリリングな運転にヒヤヒヤしながらホテル・ヤク&イエティに戻り、カトマンズの夜の酔いは最高潮に達したのだった。
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〔地名について〕
現地の地名で10年前から気になっていたのは
①案内書などではランドルン、ガンドルンとなっているが、現地の看板は以前からランドルック、ガンドルックである
②ティルケドゥンガに r はなく、ティケドゥンガだった
③ペワ湖は P ではなく FEWA LAKE らしい
④ゴラパニはゴレパニだろう
☆ ☆ ☆
〔あとがき〕
13日間の旅を事故も怪我人も出さずに終えることができた。
歩き始めの頃に、多少のヒザ痛や、貧血とかの症状を訴えられて心配もしたが、どちらも一夜で回復したようだった。
また、2000m以上の日本の山では、高山病のような症状を起こすメンバーもいたため、酸素ボンベの用意もしたが、歩き方の改善などでなんとか乗り切ってもらえた。
予期せぬ変更がなどがあったが、何れも好結果を生んだのは幸運だったと思う。
年齢差が20歳もあるグループだったが、長老の頑張りもあってスムーズな移動が出来たように思う。
自分には、古き良き時代の「山岳部」的な考えを捨て去れず、今までどうしても厳しい言動となってしまっていた。
今回は意識して、「山歩きではない」と自分にいい聞かせ、重い荷物などはシェルパに持たせることをメンバーに勧めたが・・・。
あれから4年経ち、いろいろな面での衰えは隠せないが、楽しむ気持に衰えはないようだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
〔むすび〕
これは何?
カトマンズのホテルの部屋に置かれたこの五つのダッフルバッグの中身は、メンバーがトレッキングに使用した衣類や目的を持って日本から持参した古着、余った食品や登山靴やスニーカーなどです。
まだまだ貧しいネパールでは、われわれには不用でも有効に活用してもらえます。
日本を発つ前から、古着の持参やトレッキング終了時に不用なものは「現地に置いて」いこうとメンバーに呼びかけました。
その結果がこれです。
マハビール君に「引き取りに来て」といったところ、ダッフルバッグを一つ持ってきましたが、善意はその予想の何倍ものものでした。
加えて、千葉のMさんが前回参加して感じるものがあり 、「またネパールへ行けたら何かしてあげよう」とお店にドネーション・ボックスを置いたところ、2万円が集まったそうで、使い道を相談されました。
清水君に話をしたところ、信頼のおけるマハビール君に使途を任せてはというアドバイスをもらいました。
その2万円に隊メンバー全員の気持として1万円を加え、3万円を最後の夜の夕食時に全員の前で手渡しました。
そに対して彼は、「マカルーの奥の標高2800mくらいところにある故郷の学校に顕微鏡を買って贈る」との言葉に、全員が少なからぬ感銘を受けました。
小学生の頃、初めて覗いた顕微鏡の世界・・・
ネパールの山を登らせてもらったり、多くの仲間たちとトレッキングを楽しませてもらったお礼としてはささやかだけど、参加したメンバーは、世話になった現地のポーター君たちや山村の少年少女の笑顔を想像したに違いない。
ジャイ ネパール!!
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